金城キク商会について

  1. 金城キク商会について
「徳を残して財を残さず」受け継がれた「報恩の精神」

金城キク商会の歩み

金城三郎氏
株式会社金城キク商会は、大正7年に創業者である金城三郎が那覇市旭町に金城三郎商店を創立したことに始まります。
大正9年に当時の浅野セメントの沖縄県下特約販売店となり、本県におけるセメント販売業の先鞭を切りました。
昭和3年に金城キクが父・三郎の後を継ぎ事業を継続、第2次大戦により一時の中断はありましたが、戦後いち早く昭和25年11月に合資会社金城商会を設立。自ら代表者となり再出発をはかりました。同時に日本セメント株式会社(現・太平洋セメント)沖縄地区総代理店として、沖縄でのセメントの販売を行ってまいりました。
昭和36年10月、事業の拡大と充実をはかるため、社名を株式会社金城キク商会と改名し、本社を現在の那覇市西1丁目1番地28に新設。以後、沖縄におけるセメントの安定供給を目指し、セメントの貯蔵から出荷およびセメントを始めとする建築資材の販売を中心に営業を行っております。

「徳を残して、財を残さず」報恩の精神と金城キク女史

金城キク女史
戦後間もない沖縄県内において、経理に長けた県外業者が主力となる中、金城キクは沖縄の歴史史上では女性で初めてとなる近代的経営者となりました。
女性経営者の先駆けとして奮闘する傍ら、事業家で植物学者でもあった父・金城三郎の「徳を残して財を残さず」という報恩の精神を受け継ぎ、昭和36年には財団法人金城報恩会を設立。
「みやぎばる保育園」(昭和37年)、「わかさ保育園」(昭和38年)、東京都渋谷に沖縄の女子学生のための「和敬寮」(昭和39年)、昭和49年には遺言により老人ホーム「おなが園」を開設するなど、事業の成功で得た利益を教育・社会福祉事業へと還元していきました。その精神を忘れることなく胸に刻み、微力ながら地域社会発展へ寄与していきたいと願っています。

力をひとつに。次の100年へ

  • 株式会社金城キク商会は、戦前戦後を通じ、沖縄県の主要商港として産業経済の玄関口の役割を担ってきた那覇港埠頭に隣接しています。
    設立当初は建物や交通も少なく、セメント販売会社として地の利を得た好適な環境でした。その後、那覇市の発展とともに周辺も建物が過密化、交通も頻繁になり、環境負担軽減の使命も担っています。今後も、全社員が一致協力してお客様へのサービスをモットーに、社会へ利益を還元することを忘れることなく、次の世代がさらなる発展を推し進めることが出来るよう、「次の100年」へ取り組んで参ります。
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